大和田(2024 03 03)

第 41 回 802 ちず楽会
日時:2024 年 3 月 3 日(日) 13:00~
散策コース:京王八王子駅→明神町 1 丁目・2 丁目→大和田橋→大和田 5 丁目~7丁目→浅川大橋→元横山町→新町→京王八王子

●大和田橋の焼夷弾被弾跡
第二次大戦の末期、昭和 20 年 8 月 2 日の未明、八王子市は、アメリカ軍のB29 爆撃機180 機による 67 万個という大量の焼夷弾投下により市街地の 80%が焦土と化し、死者 400名、負傷者 2000 名以上に及んだ。甲州街道の浅川に架かる大和田橋には、このとき落とされた焼夷弾の跡が残されている。
橋全体では 50 個以上になるといい、歩道上には 17 個の焼夷弾跡が残されているが、車道上は補修されて形跡が残っていないものもある。このとき焼夷弾を避けるため、大和田橋の下には多くの市民が避難し、一命を取りとめることができたことから戦争の痕跡を後世に伝えるため、橋の補修工事の際に焼夷弾の落とされた跡に色付きタイルで印が残され、道路の両側の歩道上のそれぞれ1箇所に、痕跡を透明版で覆って残すとともに、橋の両端左右には説明版も設置された。

●八王子往還の分岐にある道標
大和田中央会館から西に 150m ほど、大和田橋北から旧甲州街道を東に進んだ分岐点のガードレールの下にほとんど埋もれて、頭だけが残る道標がある。一見しただけでは道標と気づかないが、よく見ると四角い柱状の石には(東)刻字なし、(北)「村青」、(西)「王 日野」、(南)「大和田」の文字が読める。
「王」は「八王子」、「大和田」は「下大和田」のこととと推測できるから、この道標は浅川左岸沿いの八王子往還の分岐部に当たる現在の位置に元からあったものと見てよさそうである。

●大和田中央会館の道標
大和田橋北から大和田町4丁目交差点手前までの間、現在の甲州街道の南側には旧甲州街道が残っている。
この甲州街道旧道沿いの大和田中央会館の前に、石仏と並んで2基の道標がある。
東側の大きな道標には、(東)「大正十五年四月 小宮村青年團大和田支部」、(北)「→八王子 ←新田日野東京」、(西)「→堀之内高幡方面」とある。しかし、この道標は、どこか別の場所から移されたと思われるので、道標が示す南方向の堀之内・高幡へ向かう道がどの道を指すのかは不明である。
この側の小さな道標には、(東)「下大和田平通り大和田」、(北)「→豊田高幡 ←八王子」、(西)「→堀之内高幡方面」、(南)「大正十五年四月 小宮村青年團大和田支部」とあるから、こちらの道標も他の場所から移設されたもののようである。

●大和田坂の上に祀られた日枝神社
甲州街道が日野台地に上がる坂の上に「日枝神社」がある。慶安 2(1649)年 10 月に徳川家光から高五石の寄進と御朱印を賜うと伝えられている。富士山を背に八王子市街が一望できる高台にあり、江戸時代から甲州街道を行き交う人びとが参詣したといわれている。
また、近藤勇が天然理心流の四代目を襲名したときここで奉納試合をしたと伝えられている。
もともと、「日枝神社」は、比叡山麓の日吉大社(本宮)の勧請を受けた山王信仰に基づく神社の社号といわれ、日吉、日枝、山王神社は、日本全国に約 2000 社あるという。境内には稲荷神社も祀られている。

●高幡山不動碑
現在の大和田町は、南多摩郡小宮村の一部だったが、昭和 16 年に小宮村の八王子市編入に伴い八王子市の一部となった。
江戸からの甲州街道が八王子に入る手前に位置する大和田は、交通の要所でもあり旧道の分岐には、石の道標が立てられていた。 現在、大和田町東光寺の塀の横にある3基の石造物のうちの一つがこの高幡山不動碑である。並んで立てられている庚申塔は甲州街道の大和田坂の坂上から稲城へ向かう道の分岐点にあったものだという。大和田坂は、現在の大和田4丁目交差点から大和田3丁目と4丁目の間を北東に上る甲州街道の坂で、かつてはかなりの急勾配で交通の難所であったという。
3基の石像物で最も大きなのに、『高幡山不』と大きく彫られた文字が読み取れる。元は甲州街道の南側、八王子往還の日野市の高幡不動へ通じる道の分岐点にあったという。
八王子市が作成した「ふるさと八王子」という冊子には、次のような説明がある。
『甲州街道の大和田坂を登り切った右側、細く急な斜面を南に抜ける道の角に、五間四方に小高く盛られた庚申塚がある。塚には、太古を思わせる古木の根から生えたつげと街道の方から大きく枝を広げた桜、それに二本の榎がちょっとした木陰をつくっており、中央に整然と三基の碑が並んでいる。庚申青面金剛寺の碑、三界萬霊塔、高幡山の初不動もうでをする人々の道標となった高幡山不動碑がそれである。三つの塚は四十八年二月に東光寺に移転された。寺の境内に入るとすぐ右側に、手前から高幡山不動碑、庚申青面金剛寺の碑、三界萬霊塔が並んで置かれている。』(東京都八王子市「ふるさと八王子」昭和55年 より)

●竹の鼻一里塚跡(竹の花公園)
大和田橋から甲州街道のバイパスを西に向かい、最初の信号から斜め南の道が旧甲州街道で、この道を入った北側に竹の花公園があり、この公園の端には「一里塚跡」の石碑と説明板ある。
石碑の背面の説明によれば、ここは甲州道中八王子宿の東の入口に位置し、江戸から十二里にあたる。八王子市内には、かつて 4 か所に一里塚が置かれていたというが、現在でもその場所が明確なのはこの竹の鼻だけである。残る 3 か所は、並木町付近、荒井付近、小仏峠付近という。

 

散策コースの地図(PDF)


旧水路の歩道


旧水路の歩道


道標


水路に架かる橋


水路に架かる橋


石仏と下大和田への道標


暗渠の水路(道路右側)


暗渠から開渠に変化


日枝神社


日枝神社社殿


庚申塔と高幡への道標


現存する旧道


大和田の旧家


大和田の旧家


八幡神社拝殿


八幡神社改築記念碑



馬頭観音


日枝神社


稲荷神社


水洗地蔵の御嶽講石碑


浅川沿いの梅

 

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