旧甲州街道(小仏~摺差)(2023 10 01)

第 39 回 802 ちず楽会
日時:2023 年 10 月 1 日(日) 13:00JR 中央線「高尾駅」北口改札 集合
散策コース
JR 高尾駅北口②番バス乗場→小仏(終点)→寶珠寺→浅川神社→大下→日影(木下沢)→小山神社→常林寺→摺指→蛇滝口(バス)→高尾駅北口

『新編武蔵風土記稿』(文政13(1830)年)より
上長房村
上長房村は郡(南多摩郡)の西南相州(相模国)の界にあり。横山庄に属して甲州道中の宿駅なり。江戸日本橋より行程十二里。村名の起こりは伝えず。土人言う当村古くは上下の村を通して一村なりしと。されどそれも古きことにや。正保の頃(1644~1648)、既に上長房町、下長房町と分かちて高室喜三郎御代官所なりし由しるせり。村の四境、東は小仏川に限りて河をへだてて向かいは上椚田村の内河原宿なり。南は高尾山の峰を境とし、西は相州津久井県の内千木良村の峰につづき、北は上下恩方、元八王子の三村に接す。艮(北東)の方は下長房村なり。東西一里十五丁、南北山にかかりて四五丁に至る。民家は小名古名字という所に二十七軒、駒木野の内に二十七軒、新井に二十六軒、小仏に二十八軒、合わせて百三十五戸あり。以上の小名と言うもの他の村に比すれば、やがて一村とすべきほどの地なり。
すべて民屋は道の左右に軒を並べてたちつづけり。江戸の方よりは横山宿を歴て、駒木野宿、小仏宿と次第に馬次(継)ぎあり。村内なべて、高低山林多く、その中にも小仏の方は高き峠にして、小仏宿より峠上までは、凡そ十七丁ほどもあるべし。絶頂に民家四五軒あり。この所はすなわち武相(武蔵・相模)の境なり。土性は真土にして、畑七分田三分なり。山林には松杉桑の類多し。御林五か所。一は字小下沢(こげさわ)にあり。是は雑木の林なり。
一は唐沢、一は大久保、一はしなし沢、一は榎沢にあり。共に松の木立てり。また木下沢山とて百姓持ちの林あり。是は木下沢御林のつづきにて雑木の林なり。此の外村民持ちの林八十余か所あり。みなわずかばかりなる雑木の林なり。又村民の余業は、炭を焼き、薪をとり、鳥獣をとりて生産の助けとす。寛文七(1667)年、坪井次右衛門検知せり。前に言う如く昔より御料所にて、御代官かわるがわる支配し、今も御代官小野田三郎右衛門が支配に続せり。
高札場: 小仏宿にあり。
小名 小仏: 街道の内村の西なり。小仏と言うわけは下の山川の条に出せり。
摺刺(すりさし): 小仏より又東へつづきたる所なり。
新井(あらい) : 摺差の東へつづけり。
駒木野: 新井より東へつづけり。
古名字: 駒木野より東の方を言う。此の地に金南寺あり。ゆえに「こんなんじ」と言う。略して「こなじ」と言いなるべし。文字は仮借なり。この唱え慈根寺を「じごじ」と唱うる類なり。
以上の小名は他の小名とは異にして、別に一村のごとき広き地なり。すでに元禄十五(1702)年改定の図(元禄国絵図)にも、上下長房の内駒木野宿、小仏宿などのせたり。古名字、新井、摺差も古き地名なるべし。

山川
小仏峠
甲州道中武相の境にあり。峠の頂に小像の石地蔵あり。ゆえに名とするならん。あるいは言うこの地の大日堂の本尊、もとの像は土中出現のものにて小像なりしかば、この地名起こりしと。いずれか是なりや。古記録によるに永禄十二年、武田信玄、小田原へ発向の時、此の道にかかりたれば、古より開けたる大路なるべし。
景信山
小仏峠より乾に当たり七八丁を登り、ことに高き栄山なり。絶嶺に方四五間の平地ありて眺望甚だよし。土人の話に、(北条)氏輝八王子城に住せし頃、景信と言う人遠見の台を構えしより、景信の名ありと言う。されど其人の姓氏も伝えず。
上の田坂
小仏の内にて街道にあり。
年中坂
街道の内にして駒木野にあり。
小仏川
小仏の谷々より湧出して一条の流れとなり、村の中ほどにて古(木)下沢川と合し、街道の南うらを流れて、又古名字とて上椚田村より出る案内川合し、一流となり下長房村に達す。
下流を浅川と唱う。砂利川なり。平常の深二三尺、幅二間ばかり。
木下沢川
村内木下沢(こげさわ)の下より湧出し、屈曲して流るること凡そ二里ばかり。村の中ほどにて小仏川に合り。これも砂利川にて、川幅二間、深さ二尺ばかり。
木下沢橋
小名摺差より小(木)下沢川に架せり。幅二間、長さ六間、甲州街道の内なり。

水利】
用水堰三か所
一は字辻が浦、一は字猪の花、一は年中坂にあり。みな小仏川を堰入れて水田につづけり。

神社
小山明神社
除地一段六畝二十五歩 摺差の内北の方山の半腹にあり。前に石段十四段あり。杜地に椵の大木三株あり。いずれも二囲ばかり。小社にて覆屋あり、二間半に三間、社前に木の鳥居をたてり。南向き、神体は古き槍の穂なり。左に図せり。祭神及び鎮座の年歴を伝えず。村の鎮守なり。古は峯尾明神と号せしと言う。今摺差の民三十二戸はみな峯尾を氏とするもその因なるべし。
白岩権現社
除地一畝五歩 小仏にあり。小社。祭神及び勧進の年代を伝えず。神体は銅像にて長一寸八分ばかり。本地仏聖観音の像も同じく銅像なり。長三寸ばかり。左のごとし。
右の二像は、宝暦の頃村民某、夢を蒙りて社地より掘り出せしところなりといえり。その時応永の鰐口をも土中より得しとて、今に当社の宝物となれり。
子の権現社
除地二畝 小仏の内大日堂のうしろにあり。小社。百姓持ち。
浅間社
除地四畝 小仏の峰相州境にあり。小社にて覆屋あり。二間に三間。神体は木の立像。長一尺五寸、前に鳥居を建つ。勧進の年歴を伝えず。安永年(1772~1781)中、野火のために焼亡せしゆえ、古き書物は失いたりと言う。富士午王と称する木板あり。元は社内に収めしが、しばしば火災にかかりて、其板も半ば焼けたるを今当社の鍵取りとて村民彌次兵衛、彌兵衛の二人にて預かれり。又それをつつみたる紙にしるせる文あり。左のごとし。
延暦十九(800)年、粟聚山炎焼、改富士山開東高間ケ原者、行基菩薩山居之辺也。富士浅間両山遥拝有霊石也。后号富士野関、復改小仏之関、天台道命法師有山居跡。同所安置山宮也。即富士山午王者、行基菩薩の真筆也雖然、度々依野火愁、印刻也欲磨滅。近頃大壇那之某、小仏山依秘在宝筐者也
此の記はもとより信用すべきものとも見えざれど、山号及び開名の改りたることなど見えれば、しばらく全文のままを録せり。

寺院
常林寺
除地二段九畝二十六歩 摺差にあり。禅宗曹洞派。上椚田村高乗寺末、白雲山と号す。開基は峰尾を氏とせる当村の百姓なり。その創立せし年歴は詳らかならず。本尊釈迦如来の立像。
長七寸ばかり。本堂五間半に六間、南向きなり。
寶珠寺
除地二段四畝十八歩 小仏山にあり。禅宗臨済派。同郡山田村廣園寺末、小仏山と号す。開山は行基菩薩にて、開基は道明法師と言う。寂年詳らかならず。中興の僧華翁天誾、永享元(1429)年正月十二日寂す。本尊釈迦木の座像。長一尺二寸、恵心の作なりと言う。地蔵の像一躯あり。木の立像にて長三寸五分。萬米上人作と言えり。中年寺内より、延慶三年十二月とゆりたる古碑一基を掘り出せしとて持ち伝えり。何人の碑なることは詳らかにせず。
不動院
除地十歩 小仏にあり。新義真言宗。同郡下恩方村常福寺末。滝本山と号す。開山開基詳らかならず。本尊不動、木の立像長一尺八寸ばかり。本堂二間四方、南向きなり。
大日堂
除地二十歩 小仏にあり。一間半四方にて南向きなり。勧進の年歴は詳らかならざれど、古え小仏山の辺なる堂ケ谷という所より、大日の像出現せしままに、小堂をいとなみて安置せしを、後年当所に引き移せしなりと。一説に当所小仏の地名は、全くこの像の出現よりおこりしなりといえば、古き世のこととは見えたり。されどその始め出現せし小像は何の頃か失えりとなり、今はその模刻の像を安置せり。この以下の堂は何れも村民の進退する所なり。
阿弥陀堂
除地六畝九歩 小仏にあり。堂は近き年破壊して未だ再造せず。

【明治以降】
赤レンガ作りの橋
明治34(1901)年甲武鉄道の高尾~上野原間が開通し、トンネルや道路を跨ぐ橋に赤レンガが使われた。このころ、京王線の長沼駅近くには煉瓦工場ができ、工場から煉瓦を運び出す専用線もできていた。赤レンガが残る箇所は少なくなっているが、高尾~小仏間にはまだ数か所で見ることができる。中でも、木下沢近くの甲州街道を跨ぐ鉄道橋は規模が大きい。
また、鉄道以外にも日影バス停近くでは木下沢川に架かる赤レンガのアーチ橋が見られる。

旧国鉄信号場跡
大下バス停付近で小仏川を挟んだ南側にやや広い平坦な場所がある。中央線が単線の頃、上り線と下り線の列車をすれ違いさせるための線路が設置されていた。信号所は駅の機能も有していて、停車本数は少ないものの、乗降ができたようだが、中央線の複線化に伴い廃止された。

明治天皇小休止跡
明治13年6月17日に明治天皇は巡行で八王子から小仏峠を越えた。その時、峠の麓で小休止し峠に向かった。峠には明治天皇巡行の碑があるが、小休止した麓にも「明治天皇御小休所」の石碑が建っている。

不動の滝(宝生の滝)
昭和47年刊行の『武蔵野歴史地理』には宝生の滝として、次の説明がある。
「宝珠寺の前面には宝生の滝という小滝がある。水の分量も極めて少なく、四辺の景もあえて称するに足る程のことはなけれど、近頃は此処に神道の一派の祈祷所が建って居る。又此の所より約一里にして高尾さん見晴台に上るべき新道も開けて居る。」

浅川神社
宝珠寺の東に隣接する。小仏峠山上にあった浅間社と麓にあった子之社を明治45(1912)年に合祀して「浅川神社」に改称した。境内を湧水が流れており、これが浅川の地名の起源とされていることから社名を浅川神社としたとする。現在は水の神として崇敬されている。
「子之社」は、新編武蔵風土記稿で、「子の権現社」とされているもの。
白岩権現社応永の鰐口
白岩権現社本地仏
聖観音像 小山明神社御神体

 

散策コースの地図(PDF)


寶珠寺入口


小仏のカゴノキ


寶珠寺本殿


本殿庭の聖観音像

石の祠


庚申塔


不動院


不動の滝(宝生の滝


浅川神社


旧国鉄信号場跡


明治天皇小休止


道端に咲く彼岸花


中央本線の線路


旧道


中央本線の赤煉瓦橋


木下沢の赤煉瓦水路隧道


藤ノ木


小山神社


常林寺本堂


常林寺 二十三夜塔


摺差峯尾豆腐店

 

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