古道「小田原道」を辿る(JR高尾駅~横山・狭間)2019 09 29

第32回802ちず楽会
日時:令和01年9月29日(日)13:00
集合場所:JR高尾駅北口(改札付近)
散策コース
JR高尾駅→廿里古戦場跡→多摩御陵→小田原道→旧甲州街道(原宿)→興福寺→十二社→JR高尾駅南口

おだわらみち
武蔵西縁の山麓を巻いて一筋の道が走る。古来、多くのつわものどもを生んだ、深い谷々の出口を縫うように、それは、秩父から多摩へ、そして、鎌倉や小田原へと向かう。いま見れば、山坂の多いほそぼそとした道であるが、その昔、鎌倉街道と呼ばれ、武蔵武士団の旗がしら畠山重忠にまつわる多くの伝承を、現代もその沿道に残している。
秩父、白岩、軍畑、柚木、平井、伊那、戸沢、松木、二分方、裏宿、三軒在家、大戸と来て、多摩丘陵の南縁を木曽、鶴間とたどり、武蔵大路(鎌倉街道の主道)に合流する。

廿里(とどり)古戦場
戦国時代の1569年(永禄12年)10月1日に武田軍と後北条軍とが戦った古戦場。
十十里原古戦場、十々里古戦場とも書く。現在の八王子市廿里町、廿里山(戸取山・鳥取山とも)の南側で、現在は(独法)森林総合研究所・多摩森林科学園がある付近。
後北条氏の本拠・小田原城攻撃に向かう武田信玄率いる甲州勢二万は碓氷峠を越え、北条方の支城を攻撃しながら南下し、滝山城の北、拝島に陣を敷いた。
一方、武田軍の別動隊で岩殿城主・小山田信茂隊一千は小仏峠から侵入した。
これに対し、北条氏照は、家臣の横地監物、中山勘解由、布施出羽守ら二千の兵を派遣し、1569年(永禄12年)10月1日、廿里防塁跡で小山田軍を迎撃したが、待ち伏せの奇計を謀った小山田隊に敗北を喫したとされる。この後、滝山城は武田軍により三の丸まで攻め込まれたが、信玄は途中で小田原城に向かい、かろうじて落城は免れた。
北条方は小仏峠からの侵入を予想しておらず、意表をつかれたという。また、加住丘陵を利用した滝山城は南からの攻撃に弱点があることが明らかとなったため、氏照は滝山城の弱点と甲州口の重要性を感じ、小仏峠に近く急峻な深沢山に八王子城の築城を計画したと言われている。

武蔵陵墓地(多摩御陵)
大正天皇陵「多摩陵(たまのみささぎ)」 形状:上円下方 築造時期:昭和2(1927)年
大正15(1926)年12月25日に崩御した大正天皇は、翌昭和2(1927)年2月7日に新宿御苑において斂葬の儀(葬場殿の儀、大葬)が行なわれ、翌8日に陵所に埋葬された。陵墓は、前年10月に公布された皇室陵墓令に基づいて当時の東京府南多摩郡横山村から浅川村、元八王子村の御料地内に造営された。
貞明皇后陵「多摩東陵(たまのひがしのみささぎ)」
昭和26(1951年)年5月17日に崩御した貞明皇后は、6月22日に斂葬の儀が行われ、陵所に埋葬された。
昭和天皇陵「武藏野陵(むさしののみささぎ)」
昭和64(1989)年1月7日に崩御した。平成元年1月17日には陵所地鎮祭が行なわれ、造営が始まった。同年2月24日に斂葬の儀(大喪の礼)が行なわれ、造営中の陵所に埋葬された。同月27日に「武蔵野陵」と命名された。昭和天皇の柩に添えられた陵誌(墓碑)には、礼宮文仁親王(後の秋篠宮文仁親王)の揮毫により「昭和天皇 武蔵野陵 昭和六十四年一月七日午前六時三十三分崩御 平成元年二月二十四日斂葬」と刻まれている。
昭和天皇陵の造営により、墓地の名称が「武蔵陵墓地」と改称された。
香淳皇后陵「武藏野東陵(むさしののひがしのみささぎ)」
平成12(2000)年6月16日に崩御し、7月25日に斂葬の儀が行われ埋葬された。

曹洞宗 興福寺
聚林山千光院と号し、関東十八代官のひとり雨宮勘兵衛の祖に当たる雨宮秀徳が、天正8(1580年)に開いたのが始まりとされる。
慶長2(1597)年、神奈川県愛甲郡小野村にある龍鳳寺の末寺となり、同寺第四世香山充孫によって開山された。

十二社
東浅川町・興福寺の東の小高い丘の上に鎮座する十二社。
一風変わった神社名は、十二柱の御祭神を祀ることに由来する。
祭神 天神七代地神五代
天神七代とは日本神話で地神五代の前にわが国を治めたといわれる天つ神七代の総称 地神五代(くにつかみ)は人皇第一代神武天皇に先立つ神々である
由緒
慶安二年(1649)年9月19日 代官設楽源右衛門及弟権兵衛により創建された
明治3年3月19日 十二社大権現の社名を十二社に改称した
境内社として稲荷社日吉山王大権現社牛頭天王社 高宰神社が祀られている。

 

散策コースの地図(PDF)


旧甲州街道の道祖神


旧甲州街道の道祖神


古道の南浅川に架かる橋


旧甲州街道の地蔵


旧甲州街道と交わる古道


地蔵堂


興福寺山門の念仏供養像


地蔵


興福寺


興福寺境内



興福寺本堂


興福寺庭園


興福寺池


興福寺庭園


興福寺庭園


興福寺内の歌碑


興福寺庭園内の祠


興福寺庭園境内


十二社下の石仏


十二社登り口


十二社入口


十二社近く住宅内の地蔵


十二社を通る古道


富士見峠


十二社を通る古道


十二社の鳥居


十二社入口


十二社本殿


十二社本殿


十二社境内


十二社境内

 

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