第27回802ちず楽会
日時:平成30年9月17日(月)敬老の日12時30分
集合場所:JR八王子駅改札口付近
コース:JR八王子駅(バス)→大仙寺→田守神社前→熊野神社→三光院→上川東部会館(北村透谷石碑)→圓福寺→龍正寺→JR八王子駅(バス)
大仙寺
鎌倉時代の順徳天皇の御代、建暦2年(1212)時の将軍・源実朝の開基によるもので、開山は頼空上人と伝えられている。
安土桃山時代の天正18年(1590)に兵火により焼失したが、江戸慶長7年(1602)に源宥僧都が再興した。
慶安2年(1649)には本尊不動領として朱印八石六斗を賜り、田守明神社の別当でもあった。
【畠山重忠お手植えの桜】
境内にある桜の老樹は「畠山重忠お手植えの桜」と伝えられている。
田守神社
元社は、東約150mにあった古明神という。現在地の成小ヶ谷に移った江戸時代中期以降の寛保元年(1741)の絵図では太守明神となっている。
神社の履歴については古記録がないが、今から約800年前頃の承久年間の創立と伝わる。
本尊は武将畠山重忠の念持仏だったと言われているが、現在は不明。
祭神は大己貴命(オオナムチノミコト)だが、重忠を守護神として祀っている。また、明治43年10月29日に戸沢の八幡神社を合祀したので、その祭神
応神天皇との2柱になっている。
現在の社殿は、昭和46年春再建、明神橋は翌年昭和47年9月再建した。
なお、田守神社には獅子舞があり、江戸時代の文化年間頃から始まった(今から210年前)と伝わっている。
畠山重忠が鎌倉行軍中、兜の鉢に納めていた守り本尊を紛失し、その後、この本尊を田の守護神として神社に祭ったという。
神社の近くの川口川に架かる橋は、重忠橋と呼ばれている。
三光院 永徳3年(1383)東叡山の僧良弁師により開山(奈良東大寺を建立した日本華厳宗第二祖とは年代が大きく開くので同名異人であろう)の創立としている。慶安元年8月(1648)に徳川家光より御朱印16石3斗を賜り、貞享年間(1684~87)に中興したとしており、『新編武蔵風土記稿』は貞享3年(1686)4月に示寂された伝燈阿闍梨の名を挙げているので、ほぼ時期は一致している。
堂宇は文化3年(1808)と、明治14年(1881)3月火災により本堂等を全焼、明治24年(1891)9月暴風雨のため全壊し、明治27年(1894)に光了阿闍梨により一応の再建が成り、さらに昭和55年(1980)10月に境内を山の中腹に移し、先代22世光深大僧正により現在の伽藍に生れ変った。
なお、境内にある鐘楼堂に納める新鐘は、山田座主猊下の発願によるものである。
○馬頭観音堂
天正年間(1573~92)のころ、甲州武田家の家臣水島将監が当地に落ち延び農民となり、その子五郎兵衛が小さな持仏堂を建て、馬頭観音を安置したのが創めとある。その後宝永7年(1710)に三光院に譲られ堂宇も再建された。天明年間(1781~89)ごろと見られるが当初3尺四方の小堂を現在の地に建てて遷したところ、しばしば霊験が現れたので堂宇は当初の10倍にもなったと伝えられる。その霊験譚が広まり「八王子三十三観音霊場」の第八番札所に選ばれた。その当時の建物は江戸末期の火災で焼失したが、直ちに立派なお堂が再建された。現在のお堂は明治42年(1909)8月に再建されたものであるが屋根、主柱、扉等に老朽化が目立ち、平成6年(1994)5月現在の住職により修復された。
なお、札所本尊は当霊場の中で唯一の馬頭観音が祀られている。
熊野神社・八雲神社
御祭神は高皇産霊尊(タカムスビノミコト)
建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)→旧八雲神社の御祭神
明治ニ十年に字黒沢に鎮座の熊野神社に、字三和田に鎮座の八雲神社を合祀して社名熊野神社。明治四十二年現在地(旧八雲神社境内)に新社殿を造営。(東京都神社名鑑による)
拝殿の扁額は山岡鉄太郎(鉄舟)の筆による。
円福寺
貞応元年(1222)源実朝の菩提を葬るため智賢法印が開山し、正徳元年(1711)には熊野権現社(熊野神社)の別当を兼ね、御朱印九石七斗を賜った。
○円福寺の大般若経
市内宝生寺観音堂において、川口郷(現在の川口町付近)の地頭であった川口兵庫助の発願により、同寺の僧侶たちによって写経されたという。当地で漉かれていた大幡紙を用いたと思われる。
川口兵庫助は、川口の鳥栖寺(現在は観音堂)に寄進したが、天正18年(1590年)の豊臣秀吉の小田原攻めの際に寺が消失し、経典は円福寺に移されたという。
幻境の碑
北村透谷は、川口の森下という集落を幻境と呼び、森下の住人、秋山国三郎と親交を結んだ。
川口地区郷土史研究会が平成13年5月10日に発行した会報で北村透谷と秋山国三郎を特集している。北村透谷は明治ロマン主義文学の旗手として、島崎藤村らと共に活躍した。北村透谷は一時期、自由民権運動に傾倒し、民権運動の盛んな三多摩を希望(ホープ)の故郷と呼んだ。中でも八王子在の川口村(現八王子市川口町、上川町)に幾度か足を運んだ。そして森下という集落に住む秋山国三郎を知る。透谷は国三郎を慈父の如く慕い、森下を「幻境」と呼んだ。国三郎との触れ合いを記した『三日幻境』は透谷の名作に数えられている。透谷と国三郎の交遊を後世に伝えるため、地元川口地区の有志によって建立された「幻境碑」は明治ロマン主義文学や自由民権運動など日本の近代史に欠かせない記念碑として、透谷ファンのみならず、多くの研究者が訪れる。
龍正寺 宗 派:曹洞宗
御本尊:釋迦牟尼仏
寺 宝:宗教関係古文書
開 基:雄顛舜碩大和尚
開 山:天永琳達大和尚
開創年:天正五年(一五七七)頃
開基雄顛舜碩大和尚、天正五年本寺、恩方の心源寺(七世)天永琳達大和尚により開山。
勝軍地蔵尊
信仰は京都の愛宕山に発し、坂上田村麻呂将軍の戦勝を導いた仏として武士の信仰を集め、近くは出征兵士の無事帰還を祈った。
別に仏教上で、煩悩の軍(いくさ)に勝つという意味もあり、身にまとわりつく煩悩を払うためには軍に勝つほどの決意が必要だという教えも込められている。
地元の十二社ではこの他に火防(ひぶせ)の仏として、災難除けの信仰や、痛みを伴う病気にご利益があるという。
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散策コースの地図(PDF)

道標と庚申塔

田守山の碑

光明真言百万遍の碑

大仙寺入口の地蔵

大仙寺

大仙寺鐘楼

大仙寺十三重の塔

大仙寺本堂

川口川の彼岸花

田守神社

鎌倉古道の碑

民家の作品展示

道標

三光院

熊野神社・八雲神社

双龍の彫刻がある門

聖学山三光院

三光院本堂

鐘楼

熊野神社

北村透谷「幻境」の碑

円福寺

円福寺

秋山國三郎墓

道祖神

圏央道下の道祖神

地蔵

龍正禅寺

勝軍地蔵尊

龍正寺庭園

龍正寺地蔵

不許葷酒入山門の碑

龍正寺六地蔵

龍正寺

十二社熊野神社

龍正寺庭園
川口のキハダ
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