第22回802ちず楽会
日時:6月4日(日)13:00
集合場所:京王線「高尾山口駅」改札付近
散策コース:高尾山口駅→登山口(清滝)→岩屋大師→琵琶滝→ 十一丁目茶屋→たこ杉→浄心門→薬王院→蛇滝→湯の花トンネル→旧甲州街道→小仏関所跡→JR高尾駅
清滝
高尾山の入口にある滝だが、現在は水が落ちていない。
岩屋大師
琵琶滝コースの途中に2つの洞窟があり、右側の洞窟に弘法大師が祀られている。
岩屋大師の伝説:昔、弘法大師が高尾山にやってきたところ、折からの雨が嵐に変わり、弘法大師は身体が冷えてしまうため山を下り始めたが、雨をしのぐこともできない岸壁ばかりの小道を歩いていたところ、途中に病気の母親と、それを介抱している子供の姿を発見した。そこで、この親子のために嵐をしのぐ場所がないかと弘法大師が合掌したところ、突然、目の前の岩壁が音を立てて崩れ、洞穴になり、そこで弘法大師と親子は嵐が通り過ぎるのを待ったという。
水行道場(蛇瀧・琵琶瀧)
高尾山の尾根を挟んで南北に位置する琵琶瀧と蛇瀧は、現在水行道場として一般御信徒に開放されている。
水行はもともと修験者(山伏)が本格的な修行の前に心身を清める前行としてく密かに修行をしていたといわれているが、近年は老若男女を問わず、全国各地から多く人が来て滝行をしている。
十一丁目茶屋
琵琶滝から尾根に上がったところにある茶屋。
茶屋のある広場は、蛇滝やケーブルカーからのコースが集まり展望もよい。
たこ杉
高さ37メートル、目通り幹囲り約6メートルの杉の大木で八王子市指定天然記念物になっている。
たこ杉の伝説:昔、薬王院へ続く参道を天狗衆が工事していると大きくて邪魔になる杉があった。この杉を切り倒して取り除くしかないという話を聞いた杉は、一晩のうちに根をくるくると曲げて参道の邪魔にならないように道をあけたという。
この逸話から、たこ杉は「道を開く」という意味から開運の杉として祀られるようになった。
浄心門
両部鳥居の形をしている門には「霊気満山」の扁額が掲げられ、ここから先が聖域であることを示している。
薬王院は仏教寺院だが、本社にも鳥居があるなど江戸時代までの神仏習合の形が残っている。
明治以前は、神仏が混在して祀られることは一般的であったが、明治政府により廃仏毀釈が行なわれ、神仏分離や寺院の廃棄が行なわれ、神仏混交のまま残っている寺院は少ない。
浄心門のすぐ左には神変堂があり、役行者が祀られている。
薬王院 真言宗智山派の大本山「高尾山薬王院有喜寺」が正式名。
天平16(744)年の聖武天皇の勅令により、東国鎮守の祈願寺として行基菩薩によって開山された。
薬王院の名は創建当初に薬師如来を本尊としたことに由来する。開山以来「薬師如来」を本尊としてきたが、俊源大徳が「飯縄大権現」を勧請してからは、飯縄大権現を本尊としている。
湯の花トンネル 湯の花トンネル列車銃撃事件:第二次世界大戦末期の昭和20(1945)年8月5日正午過ぎに中央本線、湯の花トンネルでアメリカ軍のP-51戦闘機複数機が満員状態の列車に対して機銃掃射を加え、多数の死傷者が発生した。
列車襲撃事件としては国内最大規模で、死者50名以上、負傷者は130名以上であった。
平成4(1992)年に建立された「慰霊の碑」には、身元が判明している犠牲者44名の名前が刻まれている。
小仏関所跡
徳川幕府が甲州街道でもっとも重要視した関所で、国の史跡に指定されている。関所跡には手形石、手付石等があり、関所役人の役宅跡である。
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散策コースの地図(PDF)
資料(PDF)

京王高尾山口駅

清滝

岩屋大師

琵琶滝

琵琶滝修験道場

琵琶滝道

十一丁目茶屋前の展望所

たこ杉

浄心門

男坂の階段

詩碑

薬王院本堂

蛇滝入口の福王稲荷

圏央道・中央道のJCT

高尾山参詣者の休憩茶屋

湯の花トンネル慰霊碑

湯の花トンネル

小仏関所跡
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