春の小比企丘陵を歩く(2016 03 13)

 3月13日(日)13時30分、今回の初参加のNさんを含む7名がJR西八王子駅改札口に集合。常連のT氏が足の怪我で参加できないこともあり、いつもよりは少人数で歩くことになった。
 西八王子駅集合は、2014年3月9日以来の2年ぶりとなる。前回は、西八王子駅から北口に出て千人町から旧陣馬街道を八王子市内に向け歩いたが、今回は、南口に出て南側の丘陵(小比企丘陵)を巡る。
 駅の東の中央線と交差し南東方向に向かう道は御所水通りという。踏切からその通り南方向に向かい最初の信号のある交差点を少し西に入ったところから真南に向かうさほど広くない直線の道がある。現在、周囲は住宅になっているが、この道は周辺の住宅建設が進む前の昭和30年代地形図に表れ、最南端は階段で丘陵頂部にまで伸びている。この丘陵上部は、地形的には高位段丘の下末吉面で、平らな面が広がっており、階段の上には、浄水場が作られていた。 浄水場の北側の道を東に進むと、市街地が一望でき、そこにも市街地の中心に向かう直線の坂道があった。この2本の直線道路は、もともと浄水場から市街地に水を送るため幹線の水道を敷設するために作られたようである。

○御所水弁天
 一旦浄水場の東の直線道路を下り、御所水通りに出て緩やかな登り坂を南東に向かう。再び一段高い下末吉面の台地になるが、その手前で西側の台地に向かう谷沿いの道に出会う。谷の入口には、があり、御所水弁天と書かれた標柱がある。道沿いには小川が流れ、谷の奥には池があり、弁天社が祀られていた。
 この付近は、江戸時代に御所水村(新横山村の枝村)と呼ばれていた。御所水はここにあった湧水を指す。「御所」は、ここに散田の真覚寺にある「高宰神社」に祀られている公卿の屋敷が近くにあったことによるという説と甲斐の武田滅亡後、武田信玄の娘松姫等がここに住んだことによるという説がある。池からの水路が今も谷沿いに見られ、西八王子から富士森公園に向かう御所水通り沿いに北流し、高校の辺りから東流して、かつては大久保長安陣屋跡につづいていたという。

○富士塚
 御所水弁天の東側の台地上には富士森公園がある。公園の南側の御所水通りを東に進むと公園の最高地点に到達する。八王子市内を見下ろすこの一帯は台町という地名になっており、高台の森の中には浅間神社が祀られている。神社の拝殿の裏側に高さ二丈の富士塚が聳え立つ。石段を登り石の鳥居をくぐると塚の上には石の祠がある。武蔵名所図会の説明では、廻り百八十歩余り、塚上の広さ四間四方とあり、大久保長安が築建して、浅間神社を勧進したとされる神社はこの石の祠のことである。神社の縁起によれば、現在の祠は、江戸時代宝永年間に社殿の破壊があり、延享2年(1755)に再建されたものとある。江戸時代には富士講が盛んになり東京都内でも各地に富士塚が作られたが、この富士塚もその一つであったと考えられ、富士山の形の石がある。ここからは富士山が一望できたはずだが、その方向に体育館が建ち今は見えない。

○兜卒山(とそつざん)広園寺
 浅間神社を後にこの台地を南に下る。坂の途中、西に向かう広い通りが完成していた。この道は切通し状なので、道の両側に台地を切ったローム層の斜面が見られるところがある。坂を下り終わった辺りで台地の縁を西に向かう直線状の道がある。道の入口には「兜卒山広園寺」の文字が刻まれた石柱が建っている。この道沿いの台地の下には、広園寺に関係のある寺が並ぶ。広園寺は、康応元年(1389年)8月、大江広元の後裔である片倉城主大江師親が峻翁令山を招聘して創建したとされるが、開基については大江師親の子道広、大江氏惣領家(時広流)嫡流長井氏5代長井貞秀の次男長井広秀など他にも諸説ある。いずれにしても片倉城主の長井氏による開基であることは間違いなさそうである。寺の周囲は住宅だが、板塀に囲まれた寺域にに入ると別世界になる。杉木立の中に建つ建物は東京都の有形文化財に指定されている。歴史を感じさせる巨木の桜、一段高い本殿の庭には枝垂桜の枝が目に付く、本殿の裏庭には台地の湧水を利用して作られた庭園がある。山門と総門の間の西には八幡神社が祀られている。
総門 - 天保元年(1830年)再建、桁行一間・梁間一間、一重で切妻造。
山門 - 三間一戸、二重門、入母屋造で、室町時代から伝わる寺額が掛けられている。
仏殿 - 文化8年(1811年)再建、桁行三間・梁間三間、一重、寄棟造。
鐘楼 - 桁行一間、梁間一間、一重、宝形造で、応永4年(1397年)及び、応仁2年(1468年)の旧銘及び、慶安2年(1649年)の改鋳銘を持つ鐘がある。
寺域を掃除する僧侶もこの寺の風景に溶け込んでいて、禅寺の閑けさがしみこむひと時であった。

○御陵線との分岐跡
 広園寺を出て参道に当たる道を南に向かい、京王線と交差する手前の川沿いの道を西に向かう。山田小学校の先から旧御陵線の通っていた広い通りに出て、現在の京王線と旧御陵線の分岐付近を目指す。
 大正天皇の陵墓として多摩御陵ができると、都内からも多くの参拝者が訪れるようになり、昭和6年に大正天皇陵への旅客目的で全長6.4Kmの御陵線が建設された。
 御陵線は第二次大戦の影響から昭和20年の1月には休線扱いとなり、戦後しばらく路線は放置状態が続いていたが、高尾山への登山客やめじろ台の住宅団地建設に伴い、昭和39年に山田-御陵前を正式に廃線にし、山田-高尾山口を新設して昭和42年10月1日に現在の京王高尾線が開業した。
 現在の京王線は、この付近の尾根を掘割にして高尾山口に向かうが、御陵線は台地の縁を谷沿いに走っていたようである。尾根の北側に一段低い平坦地が残っていたので、そこが御陵線の敷地であることの痕跡を探しに降りてみることにした。よく見ると、敷地の中にコンクリートの杭が線状に点在しており、線路敷の境界杭に間違いなさそうである。

○めじろ台団地
 御陵線の分岐部からめじろ台団地の中の京王線と並行する南斜面の道を西に向かう。団地開発前の地形図を見ると、現在のめじろ台駅の南東に谷があったことが分かるが、直線の道路はかつての地形を想像だにさせてくれない。台地上の広い平らな面は、尾根の高い部分を削り、谷を埋めて人工的に作られた地形ということが改めてわかる。こうした開発は昭和30年代後半から多摩地域の各地で行われてきたが、この団地はその先駆けでもあった。

○椚田遺跡(縄文中期の遺跡)
 こうした団地の開発に伴い、先史時代の大規模な遺跡が各地で発見されいる。この団地の南端部でも昭和50年5月〜51年1月に、八王子市が施工する区画整理事業に伴い、縄文時代から古墳時代までの住居址や多数の方形周溝墓が発見され全国的に注目を浴びた。椚田遺跡は昭和53年5月11日国の史跡に指定され、地下の遺構の保存も兼ね、平成元年・2年度に小林達雄氏の指導により整備工事が行われ、公園周辺には縄文時代の樹木を植樹し、南側に説明版と縄文土器のモニュメントとゲートを配置した公園として整備されている。

○万葉公園
 陽が西に傾くと急に気温が下がって来たので、椚田遺跡から懇親会を予定している西八王子まで急ぐことにした。
途中、めじろ台駅からバスで西八王子駅に向かうことも考えたが、団地の北側にある真覚寺を巡るため、予定通りのコースを歩くことにした。
 椚田遺跡から、めじろ台駅まで戻り、そのまま北に向かうと正面に一段高い丘がある。頂上からの見晴らしはよく、八王子市内まで見渡せる。この丘から北側斜面に椚などの広葉樹の森が残っており、万葉公園として遊歩道が整備されている。北側斜面を下る道の頂上付近には、万葉集にある「赤駒を山野に放し捕りかにて 多摩の横山徒歩ゆか遣らむ」の歌碑がある。この道を下ったところには殿上人を祀ったという高宰神社や蛙合戦で有名な真覚寺があり、周囲の住宅街とは異なる空間となっている。
 
○高宰神社(明神)
 御神体は衣冠の座像。真覚寺境内にあり、散田村の産土神となっている。
 祭神は殿上人がこの地に来て逝去し、初め杉山峠(御殿峠)に埋葬したが何かの理由で広園寺境内の鎮守八幡社地に移して祀った。しばらくして現在の辺りに祠を移動し祀ったところを土地の人は古明神塚という。この時まで、鳥居は広園寺に向けられていたという。
 慶安年中(1648-52)に社を少し東に移動して村の鎮守としたという。この殿上人の従者に河井氏と鈴木氏が居て、河井氏の子孫は村内に現存するが、鈴木氏の子孫は駒木野宿に住んでいるという。これらの子孫にも殿上人の姓名は伝わっていない。応永(1394-1428)の初めに南北朝が合体したとき、南朝に仕えていた人の中で北朝に従いたくなかった人たちが諸国へ流れたが、そのうちの一人の可能性がある。南朝に仕えていた人だから姓名を隠していたと考えられる。

○真覚寺
 高宰神の別当で、真言宗智山派の寺、常光山観音院と号し、大幡山宝生寺の末寺である。本尊は大日如来。開山は隆源僧正で、昔は庵室のようであったが隆源僧正により寺地となったという。
 江戸時代には春先に境内にある心字池に関八州から数万匹のヒキガエルが集まって鳴き声を競い「蛙合戦」と呼ばれたという。 現在でもヒキガエルの生態と繁殖池(心字池)は、八王子市の指定天然記念物となっているが、周囲の宅地化にともない、現在ではヒキガエルを見ることができなくなっている。
 真覚寺境内にあり、高宰神に従って来た御内室を祀っているという御室権現がある。

急ぎ足ながら、真覚寺境内を巡り、西八王子駅への道を急ぐ。
 散策には参加できなかったが、Fさん、Tsさん、Uさん夫妻の4人がが懇親会に参加ことになっていた。
 懇親会場は、一度Kさんと二人で入った魚料理専門の居酒屋と決めて午後5時ぎりぎりに到着、Fさん以外はすでに近くの喫茶店で我々の到着を待っていた。Fさんは八王子方面から歩いて向かっているとのこと。電話で場所を連絡し、少し遅れて合流できた。U夫人が4月に転勤するというので、送別会を兼ねた懇親会となった。

 


直線道路の階段の上


御所水弁天への道


富士塚


浅間神社拝殿


広園寺境内(入口から)


広園寺境内


御陵線の跡地


御陵線跡地に残る境界杭


椚田遺跡公園


万葉歌碑


高宰神社


真覚寺本堂



真覚寺心字池

散策コースの地図

 

       

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