伊能図に描かれた八王子道を辿るU(2015 11 29)

 平成27年11月29日(日)、13:00にJR横浜線片倉駅にメンバー9人が集合。集合時間になっても参加予定のFさんの姿が見えない。携帯電話で連絡をとったところ、Fさんは京王線の片倉駅にいることが判明した。京王線の片倉駅はこの日歩くコース国道16号沿いにあるので、予定のコースを歩き、京王片倉までの途中で合流することにした。
 この日の散策コースは、JR片倉駅から国道16号を北に向かい、八王子市内で甲州街道に出て、西に向かい大横町の交差点から再び国道16号を北に向かって浅川まで、伊能忠敬測量隊が200年前に測量したルートを辿る。
 伊能忠敬の測量隊は、文化13年3月25日(西暦1816年4月22日)現在の町田市小山から八王子道、甲州街道を通り、日光道(現在の国道16号)を拝島まで測量している。前回(15回)町田市相原から八王子市片倉まで旧道を歩いたので、今回は続いて片倉から八王子の市街地に残る測量日記に出てくる寺社などを巡る。

JR片倉駅から湯殿川付近までの一帯は、区画整理が行われ、古くからあった道が失われて伊能測量のルートが辿れないが、現在の国道16号より若干東寄りのルートだったはずである。
 測量日記に川幅6間(約11m)とある湯殿川を越えると長い上り坂になるが、この坂は五輪坂と呼ばれていたようである。半町(50〜60m)ほどこの坂を登ったところで、右側に坂下から合流する別の道を見つけた。この道が片倉駅周辺で失われた旧道の残りで、ここで現在の16号に繋がっていたと思われる。この合流地点からさらに半町ほど北に行ったところで北野街道と交差する。

湯殿川沿いの寺
 伊能図には湯殿川の北側に、測量日記によると臨済宗廣園寺の末寺である常竜山斟珠庵(左3町:約330m)と真言宗竜光寺の末寺である土久山金藏坊世尊院来光寺(川久保)という寺が描かれているが、現在は存在しない。この他小比企村には、現存する廣園寺と万福寺が描かれている。なお、測量日記によると廣園寺は左の山田村あり、距離は20町(約2.2km)、万福寺は左に12町(約1.3q)とあるが、これらの距離は北野街道との交差点あたりからの道程と思われる。
坂越えの道
 北野街道との交差点から五輪坂を北に100mほど登ると京王高尾線の鉄橋を潜り、左側に京王片倉駅の入口がある。この辺りから丘陵の最高地点まで200mほど道路は切通しとなるが、測量当時は切通しではなかったと思われるから、登り坂の勾配はかなり急だったと推測される。坂を登り切ったところは、JR中央線の八王子駅南口へ続く広い道との交差点になっているが、国道16号とこの道に挟まれた山頂には、明治時代から医療刑務所が置かれており、今も高いコンクリートの壁が聳えている。
 この交差点から現在の国道16号を北側に200mほど下ると右に分かれる道がある。右手には刑務所の高い壁があり、左手には新しい住宅が建ち並ぶこの道が旧道のようで、伊能図のルートはこの道に重なる。現在は直線状の道を100mほど下ると左にカーブして国道16号に合流するが、伊能図は真直ぐ北に向かい、山田川を越えた辺りで合流する。現在は直線状の道の正面は住宅になっているが、隣接地が空き地になっていたので直進してみると、この空き地部分は盛土され、北側は崖になっていた。盛土がしていないところは、急な斜面になっているが、歩いて下れない坂ではなさそうである。この空き地から北側の崖下を見ると、直線状の道が見える。多少経路が変わっているかもしれないが、旧道はこの道辺りを通って現在の国道16号に合流していたと思われる。京王片倉駅にいたFさんとはここで合流できた。
 ここから国道16号に出て北に向かい、山田川の橋を渡ると八王子の市街地になるが、当時この辺りは八王子宿の外に接する新横山村と呼ばれ丘陵の北斜面沿いに八王子宿を囲むように広く西側に続いていた。
 山田川の橋を越え100mほどで東西の直線状の道路と交差する万町の交差点になる。交差する道路の西側は上り坂になっており、この道の先の左側の高台には富士森公園があり山頂には富士山が見晴らせ、浅間神社も祀られている。
 万町の交差点を更に北に200mほど行くと左手の高台に観音寺がある。
観音寺
 伊能図に描かれ、測量日記には、新横山村の左1町ほどのところに南指山一条院観音寺の存在が記載されている。この寺は現存し、山門は千人頭中村家の屋敷門を移築したものといわれている。境内には江戸時代の蘭方医で眼科医として活躍した秋山家の墓がある。秋山義方(ぎほう)(1779〜1857)は高野長英とも親交があり、息子の秋山佐蔵(さぞう)(1816〜87)も千人組頭で内科・眼科医。1858年には活版印刷による西洋医学書の翻訳出版を行っている。さらにその息子の秋山錬造(1872〜1943)も医者で、森鴎外の先任の陸軍軍医総監を務めた。境内にある医王堂は縁起によると犬目の里の医王堂が天正年間の兵乱にて焼失、その際不思議にも紫金の霊像が火中から飛び出し当山に来られ松の木にかかつて光明を発し山林を照らしたので山主が驚いて草堂を作り尊像を安置したと伝えられる。そのお姿は目もくらむばかりに気高く美しく浄瑠璃世界の教主にして諸々の病悉く除く医王と人々から崇め奉られたと言われる。
寺町
 八王子城落城後、新たに八王子宿を作るに際し、南側の守りに備えるため、新横山村から八王子宿への入口に当たる観音寺の北側の東西の道沿いには多くの寺院が集められたため、この辺りは寺町と呼ばれていた。
 寺町から八王子15宿になる。測量日記には、寺町の左3町から先は上野原新田で15軒ほどの家があり、右5町には子安村の子安神社と真言宗福伝寺の存在が記述されている。上野原新田は、現在の上野町と子安町で、いずれも当時は八王子15宿に隣接する村であった。
馬乗(うまのり)宿
 寺町を過ぎ、JR中央線の踏切を越えた横山と八日市の南、現在の南町辺りは、宿場ができた初期に代官屋敷があって毎日門前で乗馬の稽古をしていたので、馬乗宿と呼ばれるようになったという。
 しかし、代官たちが江戸に移った後、代官屋敷跡は畑地となり、やがて宿の外れに当たるこの通りの東側には色町もでき、明治以降も戦前まで賑わっていたという。
制札
 国道16号と甲州街道との交差点(八日町交差点)は、伝馬が置かれていた八日市と横山の境に位置し高札場があった。伊能図の測線は、ここで5年前(文化8年)の第7次測量の測線と接続する。同時代の新編武蔵風土記稿(文政5年:1822)の八王子宿全景の図には「高札」が描かれている。現在もこの交差点脇には八王子道の原標の説明版が設置されている。
横山宿本陣跡
 八日町交差点の東100mほどの甲州街道の南側、現在の横山町郵便局の地には横山宿の本陣があり、伊能忠敬が七次測量の時にこに宿泊している。
 八王子宿ができた当初の長である長田作左衛門(のち川島作左衛門)は、もと北条氏の家臣で八王子城落城後見を隠していたが、前田利家の家臣川島右近の推挙により起用され、離散していた商人などを呼び集め、大久保長安の指揮に従って八王子の宿場町を構成させた人物と伝えられている。八王子宿の初代名主となり三代にわたり名主を務めたが跡継ぎが途絶えた。作左衛門の後は作左衛門とともに八王子宿の構成に功のあった川口村の川口七郎兵衛が横山町の長として村役を務めた。伊能忠敬の測量日記には、文化8年4月5日(西暦1811年6月25日)に本陣である川口七郎兵衛と脇本陣の鯛屋勘助のところに泊まったことが記録されている。
 明治以降は、明治28年から昭和28年までここに八王子郵便局の本局が置かれ、甲州街道から中央線の陸橋に続く道は郵便局横丁と呼ばれていた。
 参加者はこの横丁が気になったようである。予定のコースを外れるのはこの会の例であるので、南に向かって歩いてみると、周囲のビルの間に黒塀の路地が目に付く。かつて馬乗宿の東側に当たる色町のあったところで、現在も三味線の音が聞こえそうである。路地の塀には12月にNHKで放映予定のここの芸者をモデルにした東京ウェストサイド物語のポスターが貼られていた。この地には似合わない集団が一瞬であるが、異空間に迷い込んだような気分を味わった。
八日市宿
 再び、八日町の交差点に戻り、八日市宿のあった甲州街道を西に向かう。横山宿と八日市宿には伝馬が置かれ、月ごとに交替していた。八日市宿の宿長は元今川家に仕えていた新野与五右衛門であったが、本陣跡ははっきりしていない。
 この通りには間口が狭いにも関わらず奥行きの長い、かつて宿の敷地が今も残っている。歌手の松任谷由美(荒井由美)の実家である荒井呉服店もそのうちの一軒である。
 八日町の中央辺りに石碑とかつての宿の様子を描いた絵の銅板がある。この絵を見ると、街道の中央には水路があり、釣瓶井戸も見られる。正面には徳利の看板が目に付く徳利亀屋と、その右側に井桁屋の文字が読み取れる。この付近には現在もイゲタヤという間口は狭いが奥行きの長い敷地の荒物屋さんがある。
禅東院
 甲州街道の一本北側の通り沿いに伊能図には描かれていないが、測量日記に昼休みを取ったことが記録されている禅東院がある。禅東院は、滝山の曹洞宗少林寺の末寺で、境内には11面観音を祀る観音堂や、文明17年(1485)の古碑があるが、秋の夕暮れが早いこともあり、寄らずに先を急いだ。
大横町(日光道
 八日町交差点から500m足らずで大きな通りの交差点、大横町交差点に出る。ここから甲州街道を右に向かうと川越を通り日光に至る日光道になる。この道の八日町交差点から浅川までは、江戸時代から横丁と呼ばれていたが、馬乗宿(南町)の通りを南横丁と呼ぶようになってから、この通りは大横町と呼ばれるようになったという。
大横町の寺
 八王子宿の南の入口の寺町と同様、北の入口に当たる大横町の浅川沿いには大善寺・極楽寺といった大寺が配置されていた。大善寺、極楽寺とも元は滝山にあったが、北条氏照が八王子城へ本拠を移したのに伴い、これらの寺も一旦八王子城下に移された。八王子城落城後は八王子宿に移され、寺町の寺が南の守りに備えたのと同様に、北からの守りに備えるためにここに置かれたようである。これらの大寺のほか、測量日記には武田家所縁の宝珠寺の存在が記述されている。
極楽寺
 大横町にあった大善寺は昭和38年に浅川の北側の丘陵に移転したが、極楽寺は現在も浅川沿いにあり、境内には八王子に所縁の深い長田作左衛門塩野適斎玉田院などの墓が残っている。
暁橋周辺
 伊能図に描かれた第9次測量のコースは、伊能測量隊は1日で測量しているが、私たちは第6回に浅川から北側、第15回に相原から片倉、そして今回片倉から浅川までと3回で辿ったことになる。
 秋の早い夕暮れが近づいたため、懇親会を予定しているJR八王子駅に向かうことにし、浅川沿いを東に向かう。
 浅川に架かる橋は国道16号が浅川橋、JR八王子駅から北に向かう大通りに架かる橋を浅川大橋と呼んでいるが、この間に暁橋という橋がある。
 明治時代の地図を見ると、暁橋の東側の堤防は閉じておらず、霞堤となっていたことが分かる。
 現在は、堤防で閉じているが、堤防の形にその名残を見ることができる。
 また、暁橋の南に周囲に見られない広い通りがある。現在は面影も少なくなったが、かつての遊郭のあったところで、通りだけが名残となっている。
元横山
 八王子宿ができる前八王子15宿の地は全て横山村であったが、八王子宿(甲州街道沿い)に横山宿ができたので、区別するため元横山村となった。
 測量日記には、浅川に向かって大横町の右側3町(約320m)のところに、真言宗竜光寺の末寺である妙薬寺があることが記録されており、伊能図にもこの寺が描かれている。
 妙薬寺の南に甲州街道に向かって伸びる細い直線の道があり、この道沿いに八王子の東の神社として信仰を集める八幡八雲神社がある。また、この境内には横山神社が祀られ、、武蔵七党のひとつ横山党の根拠地がこの付近にあったと伝えられている。また、この神社の南東200mほどのところには、八幡神社の別当である大義寺があり、墓地内には江戸時代中期の八王子出身の女流俳人で松原庵を継いで優れた業績を残した松原庵星布(1814年12月28日没)の墓がある。
新町竹の鼻一里塚跡
 大義寺の北側の通りを東に向かい、200mほど行くと旧甲州街道の曲がり角、古地図には閻魔堂が描かれているところに出る。現在閻魔堂はないが、閻魔様はここにある町民館に置かれているという。
 旧甲州街道の一里塚は、第2回に訪れているが、多くの参加者は参加していなかったので、改めて立ち寄ることにした。
 一里塚は、徳川幕府が江戸日本橋を起点として各街道に一里ごとに榎を植えた塚築き、里程の目印などにしたもので、新町の一里塚は、甲州道中八王子宿の入り口に位置し、付近で鍵の手に曲がる道筋は、江戸時代の宿が開かれたとき、城下町のような東の守り口としての特徴を残している。なお、甲州街道の西側の鍵の手の道は、千人町の西端に名残がある。江戸名所図会(文政6年:1823)には、ここから日野本郷へ二里、駒木野へ二里、小仏へ三里なりとあり、また脇継として、南の方相州相原へ二里、日光道拝島へ二里とある。
永福稲荷神社
 江戸時代の甲州街道は、大和田橋から現在の八王子バイパスを西に行き、八王子市立第五中学校の先の交差点を左斜めに入り、永福稲荷神社の前を通って突き当たりを左(南)に曲がり、国道20号に出て右(西)に曲がり国道20号を西に進むと中心部である八王子三宿(横山、八日市、八幡)に続いていた。
 神社は盛土の上に建てられているが、武蔵名所図会には一里塚の上に稲荷神社を祀ったとあるから、神社の盛土が一里塚だったと思われる。現在一里塚の碑は神社の下の竹の鼻公園にある。永福稲荷神社には 庚申塚や、松尾芭蕉一門の女流俳人である 松原庵星布が建てた 芭蕉句碑がある。
市守神社
 天正十八年(1590)の八王子城落城後、新しい八王子の宿を整備するに当たって、倉稲魂命(うがのみたまのみこと)を守護神として創建された。のちに天日鷲神(あまのひわしのみこと)も祀り、商売繁盛の神として信仰を集めている。この日は11月の酉の日にあたっていたため、神社の周辺は「お酉さま」で商売繁盛を祈願する人々が溢れ賑わっていた。

 「お酉さま」で人の溢れる八王子駅前の道を駅に向かって歩き、懇親会のみ出席予定のHさんに席の確保をお願いした懇親会場に向かった。
 

 


伊能測量隊が測量した旧道



伊能測量隊が測量した旧道


観音寺山門


国道16号と20号の八日町交差点


横山宿陣屋跡に建つ郵便局


江戸時代の店舗の形をとどめる


禅東院山門


八日市宿の中心部に建つ碑


八日市宿説明の銅板


大横町交差点


16号沿いに残る宝樹寺


八王子宿北の入口に建つ極楽寺


紅葉が美しい極楽寺境内


遊郭跡の広い通り


暁橋東側に見られる霞堤の痕跡


妙薬寺


八幡八雲神社境内の横山神社


大義寺


八王子宿入口に建つ一里塚の碑


酉の市で賑わう市守神社

散策コースの地図

測量日記

 

       

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