八 代

八代城址

 八代城址

不知火湾を臨む球磨川河口に加藤清正の子忠広が元和5年(1619)に築城した五層六階の大天守を有する城。
本丸北西隅に五層六階の大天守と二層三階の小天守があった。
寛文12年(1672)の落雷で、天守・櫓・長塀など多くの建造物が焼失し、大天守は再び築かれることはなかった。
天守台跡には、石塁の内壁が今も残っている。
加藤家廃絶後の後、小倉から移った細川忠興がこの城を隠居城としたが、忠興の死後は重臣長岡(後の松井)興長が三万石の城主として入城し、明治維新まで松井氏の居城となった。

八代宮

カトリック教会

 

 

 

 

 

 

 

Copyright(c) Takehide hishiyama  Oct.2007