天明4年(1784年)に秀治と喜平という二人の農民が偶然「漢倭奴国王」の金印を発見した。 この金印は中国の後漢書に漢の光武帝が奴国の使者に渡した金印と考えられている。 今、その金印が発見された地点は金印公園になっている。 島の東南、にある志賀海神社は、綿津見三神を祀り、全国の綿津見神社の総本宮である。日本書紀や古事記に綿津見神の祭主・阿曇氏についての記述が見られ、筑前国風土記には神功皇后の三韓征伐の際に立ち寄ったとの記述が見られる。 文永11年(1274年)の元寇で捕虜となった蒙古軍の兵士120人ほどが蒙古塚で斬首されたという。
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